つれづれなるままに...
by mahsa
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朝音・昼音・夜音を使い分け
出張先、移動中、なるべく音を聴くようにと心がける。わが愛器、紫色のipodには多数のアルゼンチンタンゴやクラシックの音源が入っているが、ホテルなどではそこに入っていないCDを持参し、仕事しながら流したりもする。先日アマゾンでついで買いしてしまった、布施明のCDを朝から流してみる。むむむ、これは朝に聴くものではないぞ~と急遽、入れかえてみる。夜、お酒を飲みながら聴くならばバラードとかも良いが、朝は情緒的すぎるのはちょっと合わない。私自身のCDも、朝より夜に聴いたほうがいいとか、運転中ではなくゆっくり部屋でお酒や紅茶を飲みながらがいいとか、「ながら」向けの音楽ではないかも・・などいろいろ感想をいただいたことがある。ということは、私の音楽は夜音か?布施明もそうかな?など思ったりする。一方、尾崎喜世彦は朝からでもばっちりであった。メロディや声質、リズムなどにより、合う時間帯やシーンがある。以前知り合った、とあるタクシーのドライバー。彼はおもてなしの達人であるが、その方も、時間帯にあわせて、車内のBGMを変えているといっておられたな~。朝はクラッシック、夜は疲れを癒す音楽??。よく考えていられるもんだと感心したものだ。ということで、食事を1日三度とるように、音楽も朝、昼、夜で使い分けるとテンションの上げ方とか、精神の整理に効果的だと思う。しかし、昼音というのはなかなかない。しいていえば、ワルツやポルカなど軽快なリズムの音だと歩くのも楽しくなって元気に仕事もできたりするかも。音は心身の大切なパートナー。うまくつきあうと、パワフルハッピーな1日になる。
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by mahsa1203 | 2012-08-31 02:09 | words
ピークで果てたい願望
危険地帯へ出向き内紛に巻き込まれ、殺害され、帰らぬ人となった女性ジャーナリストのことを連日報道で目にする。心からお悔やみ申し上げたい。そして、一方でこんな風に死ねたら本望だと思っている自分がいるのも正直なところだ。自分の好きな仕事のために、好きな仕事をしているなかで、生涯を終えられるとはとても幸せだと思う。そして人からは惜しまれる。まさしく人生のピークにおける死といえるのだろう。もちろんこんなことは意図できないし、ご無事に帰国できれば良かったのはいうまでもないが、こういうこともある。という教訓のひとつであり、そしてひとつの美しき人生の閉じ方である。人は1日24時間ということと、いつ果てるかわからないという2点において平等であるが、できればこんな風にドラマチックな人生を送ることがいいと思う。人はどんな終わり方をしたかによって、人生が決まるという一面もあると思う。私も人生をピークで終わりたいが、ずっとずっとピークをキープするにはとてつもない力を要する。だからピークで終わることはとても難しいし、それは意識してもそうできない宿命により導かれるのであろう。理想の死はピークのときに、そっといなくなることだ。・・・・本当に不謹慎ながら、あのジャーナリストの死の報道を、自分に置き換えて見ていた。人に惜しまれては一番の幸せだ。今日もピークでいられるように、エンパワーしていこう。
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by mahsa1203 | 2012-08-30 04:46 | words
天職と思う瞬間の幸せ
講座や研修を受け持って、受講者の皆さんたちが、本当に満足された様子でお帰りになったり、一緒に乾杯でき、喜んでいただいている様子を拝見していると、またそれまで知らない人同士だった人たちが学んだ仲間として、仲良く意見交換している姿を見ていると、本当にこの仕事をさせていただいて幸せだな~としみじみ思う。コミュニケーションクリエイターを世界唯一の仕事と名乗りはじめてもうすぐ14年になるが、この仕事をしている喜びをかみしめることが多い。抱きしめたい仕事といおうか、これ以外にこれ以上に私の良さが生きる道はないのだと思ったりする。天職とはさせられている仕事ではなく、授けられた仕事である。そう思い続けることができるために、毎回初心で臨む。謙虚に素直で臨む。今回、また出会った新たな人々のことを思い浮かべながら、今日をまた新しくはじめる。今日はどんな出会いがあるだろう。
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by mahsa1203 | 2012-08-29 04:12 | words
みーんなずっと「これからの人」
仕事で出会う組織の部長さんあたりの会話で部下たちを前に時々耳にする言葉。「いやー、彼らはこれからの人だからがんばってもらわないと!俺たちはもうすぐ終わりの人だから」。一見、次代を担う若者、部下たちへの期待をこめたエールにも聞こえるが、「じゃ、部長さんあなた自身はこれからの人じゃないんですか?」
と思わず突っ込みたくなる。いい方を工夫して実際訪ねてみると「いやー、僕らはもう●年で定年で、もう過去の人なんですわ~」とおっしゃる。組織で働くと定年という制度があるせいか、そのゴールが近づくと組織の中で「これからの人」でないようにしようとしている人もいるように見受けられ、不思議な感覚をもつ。定年するそのギリギリのところまで、「これからの人」としてイキイキ積極的にがんばればいいのにな・・と思うのだが。もちろん後任の育成は大切であるが、自らが率先して「これまでの人」になる必要はない。
それと別に最近、60代のご婦人と食事をしながら話をしていた。「毎日一生懸命生きるから、悔いのないように生きるから、早く人生終わるのもいいな。もうそんなに長生きしたくはないと思っています」と自分の率直な意見を述べると「あら~。今尾さんは私たちと違って若くて、まだこれからの人なんだから、まだまだがんばらなくちゃ駄目よ~」とのお言葉。そうか、年上の方たちから見ると、私のような中年も「これからの人「」なんだな~と思うと、妙に肩に力がはいってくる。いくつだから、定年前だから・・とか関係なく、元気に生きられるうちは、みんな「これからの人」であればいい。どの分野で、どんな生き方で・・・という見直しはもちろんしていく必要があるが、元気に生きていられる以上、生きているということは、みんな「これからの人」だと思いたい。
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by mahsa1203 | 2012-08-28 04:14 | words
思わず泣きそうになるノスタルジックな時間を
すっかりおばさんだな~と思いつつも、心弾む瞬間がある。それは昭和の名曲を耳にするときである。最近では、先日亡くなった尾崎喜代彦の往年の映像を見て、なんとなんと歌の上手いことよ。昔は本当に世界にも通じる歌の上手い歌手がいたな~。でも、残念ながら帰らぬ人になってしまったことにたまらない気持ちになり、思わずこの感動を永遠にしたいと思って、ついついCDを即ネット購入してしまう。では、ついでに・・・と、ネット販売者の思う壷であるが、促されるままに、布施明も一緒にオーダーしてしまう。ああ、そうそう素晴らしい歌手がここにもいた。尾崎喜代彦も布施明もビジュアル的にも、完成されたシンガーであったと再認識。すっかり気持ちが昭和になっているときに、今度は、テレビで「青い三角定規?」今から思えばそんなユニット名?であったかと思うが、その大ヒット曲「太陽がくれた季節」というタイトルだったか~が流れているのを見て思わず感動。「キミは、何を今みつめているの・・・」で始まる青春ドラマの主題歌になった名曲である。おそらくその歌手自身なんだろう。その謳いぶりを見て、胸がはりさけそうになる。ああ、昔はいい歌が多かったな。浪漫を歌う、元気になる。魂のある曲が多かった・・・。今、この秋からはじまるライブツアーを企画中であるが、今回のテーマは実はそれにとても共通している。「ロマンチック ノスタルジー」・・・人は人生を重ねていくからこそ、ロマンチックになれるし、ノルタルジーも理解できるようになる。それにしても、昭和の文化はなかなかである。今も決して古くなく、むしろ新しい。
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by mahsa1203 | 2012-08-27 05:07 | words
キメル日は空からパワーを仰ぐ
出張講演、講座などがある日で、前泊するときには、いい空が見える場所に宿をとることにする。空がどうかというのは、その日天気がもちろん関係あるが、そう思えば、私の講演、講座で雨が降った日がなかったような気がする。たとえば、名古屋での朝のスタート。普段以上に早起きをして、準備をしながら、朝の空をたっぷりと仰ぐ。気持ちいい青空に出会える日は、仕事もうまくいく。自分だけのおまじない?だ。見上げてごらん・・上を向いて歩こう・・・といろいろ名曲もあるが、人は確かに上を見ているとうまくいく。
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by mahsa1203 | 2012-08-26 06:28 | words
「品」は最上の価値
外交問題で、日本は「品位を汚す」を理由に云々という応酬があったが、この「品位」という言葉がとても小気味良いと思った。数値での競争(多いとか少ないとか、速いとか遅いとか・・・)でしかモノゴトの価値を図れないのは寂しいこと。相対的な生き方をしているとそうなるのだろうか。絶対的な自分が存在していれば、いつまでたっても自分が自分がと他人、他国に対して攻撃もしないであろうし、それはオノマトペ的に表現するならば「ガサガサ」「ガツガツ」した生き方である。優雅に品位を保ち、美しく生きるというのはとても大切であるし、できることであれば、いつも心がけていたいものだ。品・・・品質、品位、品性、品物・・・品という漢字は口がみっつ、社会の目にさらされても恥ずかしくない、良質な状態を言うのだろう。この国際社会では、協調なしには生きられないため、うまく収める方法を考えるべきであるが、品のない人、国は結果的に好かれることはないというのは、歴史が示している。だから日本人よ、もっと自信をもって堂々と生きていこう!そして、自分自身、「品」が備わる存在になれるよう精進したい!
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by mahsa1203 | 2012-08-25 00:21 | words
快か不快か?アートか否か?
上越地域での仕事のついでに開催中の芸術祭の気になる会場に寄ってみる。新聞そのほかでも話題になっているようであるし、それはどんなものなのか・・・と大変興味があった。知り合いが「見ておきますか?」とちょっと曇った声で言い、車で案内してくれた。その作品がこれだ。誰もいない世界~という意味の作品名で、何十万枚の古着(洗濯していない・・)が美術館の中庭に積み重ねられ、並べられ、上空から大きなクレーンがその古着たちを、UFOキャッチャーのごとくつかんでは離す。この巨大クレーンは神の手だということらしいが。この作家は、来日したときゲームセンターでUFOキャッチャーを実際に見て、日本特有の不思議な世界に驚き、なんとも気味の悪いものだと思ったらしく、それが本作品のヒントになったらしい。誰が着ていたかわからない膨大な、カラフルな古着たちは、会期中野ざらしで、雨にも風にもそのまま耐える。だから臭いが・・・。この猛暑にはこたえる作品なのである。悪臭を放つ作品にはであったことがない。この作家は、東日本大震災の被災地に赴いたときに、浮んだともいう。確かにテレビで観たむごい世界に通じるものがある・・。
つれていってくれた知り合いも、この作品に対しては否定的であり、また地元の人にも同様の感想であるとのこと。そうだな・・・。発想は凄いし、一度、目にしたら目を話すことができないほどインパクトがあるが、アートとは何か?と考えたとき、私にとっての芸術は、人々に快を幸せを感動を与えるものでなければならない。これは不快であり、絶望を感じさせる作品である。一番気になっているのは、この作品展が終わったあと、これらの古着はどうされるのか?ぽいっと処分されてしまうのであれば、なんとも無責任なことであるし・・・。独創的に表現するものがアートなのか?コンテンポラリーな作品には時々解釈の仕方が難しいものがあるが、本作品は解釈は難しくないが・・・不快であるのが何より悲しい。作家はそれもわかって作っているのだろうが。
これがこの祭の目玉のひとつになっている。今の日本には確かにいい教材ではある。
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by mahsa1203 | 2012-08-24 03:14 | words
端末人間になることなかれ
テクノロジーの進歩が、「対立」というものを失くした。とある作家が書いていた。社会的ボーダレスという意味である。だから、反対するとか、運動するとか、革命するとか・・過去の歴史が語ってきた世界は、誰でも情報機器をもち、発信できるようになった以上、フラットな関係になることで変わってしまったのだ。本当の意味で強者と弱者はいなくなったともいわれる。これをビジネスとくにマーケティングの社会においてもあてはめても同じようなことがいえると思う。以前は、企業とお客様は、「お客様は神様」であり、「送り手」と「受け手」は固定的な関係かつ距離もあり、立場を異にしていたはずなのに、最近は生活者も情報ツールを使うことで、「送り手風存在」になり、自由にモノいう存在として、企業らに影響を与えることができるようになってしまった。「企業とお客様は友達の関係になってしまった」といっていた方がおられたが、本当にそうである。調和のとれた、責任ある社会を作っていくためにこのフラットな環境の加速化が良いのかどうかわからない。一方、テクノロジーの進歩により、いろんなものが端末化されるようになってきた。考えなくても、指先や手先でタッチするだけで求める情報が得られ、それはそれは便利な世の中になった。地理を理解していないタクシーのドライバーも、GPSのおかげで仕事が一応できてしまう。時間優先、効率優先の世の中という目から見れば良いが、旅先でもすべて携帯に導かれて道を歩くようであれば、人は決してそのプロセスを頭に入れようとしないし、学習されない。「そのときだけ良い」・・・というのが端末的生活の特長なのではないかと思うようになった。時々、江戸時代に東海道を、中仙道を歩いた人の気持ちを想像することがある。あるいはコロンブスの大航海を想像することもある。今日のような情報機器をもたずして旅に出、行動を起こす人々にはその過程、過程がすべてインプットされ、すべての経験が蓄積されていったことであろう。私は、手ぶらで見知らぬ町を歩くのが実は大好きだ。地図も時々見るが、この見づらさも学習になるのである。本題に戻す。世の中、どんどん端末化生活が進んでいる。どんどん本来の「考える」ことから、遠ざかっているということに注意を払いたい。なんでも、指先で操作できることに溺れると、本当の意味で、生きる力を喪失してしまうのではないかと危惧するのである。もちろん便利なものは使えば良い。でも、便利の裏側にあるものを意識することは大切ではないだろうか。
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by mahsa1203 | 2012-08-23 00:20 | words
日常が非日常になる・・ということ
大好きな恵比寿の東京都写真美術館で開催中の、「夢の光」という企画展。田村彰英という写真家の写真に賭ける半生を作品とともに魅せてくれている。アメリカに憧れた戦後、その世界に触れたくて米軍基地をずっと撮影していたところから、政治宗教とは関係なく、写真家の純粋な生き方に触れることができる。そのなかで、社会的事件・事故が勃発したその場所に出向いて撮影している衝撃的な作品を多数みた。オウム真理教のサティアンといわれた場所から、昨年の東日本大震災の被災地、イタリアでの大型客船の転覆、各地でときおり見られる大型船の座礁・・・。ここで、作家が言っているのは、「日常」の世界が、瞬間の衝撃、事故、事件によりその場所は人が立ち入れない、住むことができない、「ああ、美しい」とはいえない、「非日常」の世界になるのだ・・・ということ。昨日まで、普通に存在したものが、その衝撃とともに特別なものに変わってしまうのだ。・・・そこで、先日韓国の建築家がテレビで「何気ないどこにでもある景色が、素敵な家を立てることにより、その場所が特別な場所になるのです。」と語り、それを「a place」が「the place」になるのだと表現していたことを思い出した。しかし、このことを、この事件・事故のおきた風景に当てはめてみると、自分たちの意図・意志と関係なく「a place」が「the place」になるのは、堪えられないことだと思う。東北の各地が、早く早く日常になることができるように。あるいは、人々のがんばりや、愛により、何もなかったときよりも素敵なthe placeになれる日が早く来るように・・と祈るばかりである。非日常は、自分で創ることもできるが、大きな非日常は意図せずやってくるものだ。それにしても、どの悲惨な光景を写した写真でも、空の青くきれいなこと・・・悲しいぐらいに。
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by mahsa1203 | 2012-08-22 00:35 | words


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