つれづれなるままに... by mahsa |
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とあるテレビ番組でみつけた愛知県の某石材店。そこの娘さんがお父さんの背中を見て石工という仕事に就いた。つい最近お墓参りにいったとき、「なんで日本のお墓のデザインはこうなんだろう」とつくづく思っていたところでもあり、その女性の仕事に大変興味をもった。彼女は従来のいわゆる四角い墓石ではなく、亡くなったペットそっくりの石像を注文を受けて作り、飼い主たちに癒しを与え、今では全国から注文が殺到しているという。確かに今は亡き存在が身近にいてくれたら、人はそれを見ていつでも声をかけることができるのだ。墓石もせっかく存在するならばそういうものであるといいのに・・と思っていたため大変興味をもった。話し相手・・・人には自分のことを認めてくれる存在が欲しいもの。聴いてくれるだけで、見守ってくれているだけでいいから、そばにいてくれる「何か」を求めている。人物画というもの、写真というものもそうだと思う。最近、1枚の版画が私の話し相手の一人に加わった。憧れの画家によるものでその1枚の絵を見るだけで自分の世界観は西方面に広がり始める。タイトルは「小さな職業人」のなかの栗職人とのこと。私はその愛くるしい表情に惹かれた。「ねえ、マロン坊や、どう思う?」と、時々そんな会話をしている自分がいる。頭がおかしい?と思われるかもしれないがそんなことはない。絵の中の人物に話しかけてみたり、問うてみると意外な発見や答えがみつかることもあるのだ。親しい人、愛する人がいるいないに拘わらず、「永遠の話し相手」というものについて考えてみると、これまた何だか違った世界が見えてくる気がする。
レオナール藤田が遺した子どもの作品は、まさに子どもがいなかった藤田氏の子どもそのものであったらしい。絵画や版画、写真といったアートは心のなかの存在を永遠にしてくれる。ね、そうだよね、マロン坊や。
by mahsa1203
| 2011-11-27 06:10
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